「創造都市」は活きているか

昨日は、作家さんに感想などを伝える場所について話を進めたが、今日は作品展全体についての話。

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たとえば、11日に琴似のコンカリーニョで「不羈之鳥」という展覧会を見たが、30人ほどが出品しているというわりには作品数が少なく、小さい絵が多くて、天井の高い会場空間に、完全に負けていた。
 犬養とかneccoのような小さい空間に作品が密集していれば趣味的な展示としての良さは感じられたかもしれないが…。
 参加者や若い友人とおぼしき人たちは楽しそうにしていたようだが、筆者のような外部の人間には、どこがおもしろいのかまったくわからないシロモノだった。
 すくなくても、これまで積み重ねられてきた美術史とはまったく関係はないし、また、現代の社会とも接点はない。好きな人が好きなようにやっているイベントにしか見えなかった。

ブログ内で筆者である梁井朗氏がこのように語っていたのだが、見に行った自分としてもどこか物足りなさを感じてしまった。しかし、言った時間が夕方だったことが要因の可能性もあるし、展示とパフォーマンスを組み合わせてのイベントのため、これ以上作品を増やすとパフォーマンスが出来なかったり夜や土日の人が集まる時間帯だと動きづらくなったり地震や火災といった万が一のことを想定すると作品が空間に勝れせるためには相当の計算が必要なはず。

個人的に感じたことは入口と受付、展示スペースとポストカード・物販スペースが離れていたことに違和感を感じた。受付が近いと奥へ進んで良いのかという不安も無かったのかと感じた。ポストカードスペースについても、奥まっており、受付の所で会計を済ませたのだが、どこで会計をと一瞬迷ってしまった。

以上の点を踏まえると、劇場という場所柄、スペースの配置は難しいと思うが、入り口と受付を近づけるなどの改善があれば安心するのではないかと感じた。

 ただ、筆者が見るかぎり、ツイッターなどでは「楽しい」「こんなの見たことない」などの肯定的な感想ばかりで、もし、そういうのだけが記録として残っていくとしたら、札幌のアート全体の流れのなかで見た場合にあまりに公平さを欠くと思ったので、ひとこと書いておくことにした。

 同じく梁井氏のブログから。Twitter上だと肯定的な感想が多くなるのは仕方のないことかもしれない(否定的な人間はツイートしないし、陰で色々というムラ社会的な部分が垣間見えてしまうのは想定がつく)。

 

さて話を「批評」に戻そう。展示でダメだと思った部分を言うのは良いしそれが改善されてより良いものになれば、みんなが良いだろう。ただそれが一部の身内や関係者だけで終わってしまっては話にならない。ここは何処だ。「創造都市」を自称する札幌ではないか。札幌における「創造」は'creative'ではなく'idea'に近いものである。どちらにせよ、札幌市民がこの部分をこうすれば良いのでは?という「ポジ出し」*1含めた議論を展示を見終わった後にカフェなんかで気軽に出来るような街になることも大事なのではないかと思う。

 

 

 

*1:荻上チキ氏が提起したキーワード。「ダメ出し」だけではなく対案を示していこういう意味