すきだったもの

今更ながら日大アメフト部の悪質タックル問題について。

たまたま、加害者側の学生の記者会見をテレビで見ているときに、引っかかる一言を耳にする。それが、

 

「好きだったフットボールが、あまり好きではなくなってしまった」

 

である。

この一言に思わずドキリとさせられた。というのも、自分にも経験があるからである。

 

あれは、ちょうど3年前のこと、とある写真展に参加・出展したときのこと。参加を決めてから搬入までだいたい3~4ヶ月ほど。更に搬入1ヶ月前に仕事が忙しくなり、残業が目立つようになる。

それでも、なんとか期日までに搬入は終えたが散々だった。

そして、その展示のメンバーの中で写真を生業としている方がおり、実行委員長よりも偉い方(以降「終身実行委員長」)からもボロクソ言われる始末。

まぁ、来年も参加しよう、それまでにはテーマがしっかり固まるだろうと考えながらまた普段どおりの生活を過ごしていたところ、年が明け、その展示メンバーで撮影会を行い、その後、終電を気にせず飲みましょうという企画があった。

終電を気にせずということだったため、有給2日分とホテル代を犠牲にし、撮影会兼飲み会に参加。

飲み会は最初ワイワイと楽しんでいたのだが、2件目の途中から、終身実行委員長によるありがた迷惑ない説教が始まったのである。挙句の果てには3件目にて、彼が

「写真を舐めるな」

「お前のことを思って言っている。次回は期待している」

などと、言いたい放題。

その後3件目でホテルへ向かったのだが、その後、自己嫌悪に陥り、次の日に予定されていた別の飲み会でもテンションが上がらず「早く帰りたい」と思い、その後絵本を購入し、読んで号泣する始末(この絵本については今度紹介できればと思う)。

 

しばらく、終身実行委員長とは会いたくはなかったが、一週間後に、写真の撮影技術に関する講習会と言うことで、会わなければならず会場へ足を運んだのだが、その時の彼の態度と周りの雰囲気がどこか宗教のようで、これはなんか違うなと思い始める。

そして、冗談とはいえ、参加者を増やすため、参加者は、可能な限り5人の参加者を集めるというねずみ講紛いの雰囲気まで出ていたのだ。

段々と嫌気が差す中で、仕事の忙しさが限界となり、1ヶ月の休職。金銭面的にも難しくなったため、その展示には参加するのを辞めた。

 

上記の飲み会の後、1ヶ月ほどカメラを持ち歩くことに抵抗感を抱くようになってしまった。撮らなくてもシャッターチャンスは逃したくない。カバンが重くなってもいいからと休みのときは持ち歩いていたのに。

「好きだったものが好きではなくなった。」このことが2年前の出来事を思い出させてしまった。

トラウマになっていたのだろうか、カメラを持つことに抵抗感を抱いたあの時を思うと少しおかしかった時期だったのだろうと会見を見ながら振り返ってしまった。

 

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