恐るべき量の叩くなんとか
時事的なことには手を出したくないが、流石にネタが無いのが困り物。
電通の先輩が、
— はあちゅう (@ha_chu) 2017年1月30日
「CMは偏差値40の人にも理解できるものじゃなきゃダメ。この会社にいる時点で普通ではないと自覚しろ。世間にはおそるべき量のおそるべきバカがいる。そしてそれが日本の『普通の人』だ」
って言ってたの、一番役に立ってる教えの一つだ。
>世間にはおそるべき量のおそるべきバカがいる。そしてそれが日本の『普通の人』だ
このツイートに批判が殺到したことをネットニュースで知ったときに、どちらかと言うとなるほどと感じてしまう。
というのも、偏差値が高かろうが低かろうがわかりやすいCMを企画・制作するのは当たり前のことなのだが、今の時代分かりやすく商品を訴求する以上に考えなければならないこと、
クレーム対策
ではないのだろうか。
上記のはあちゅう氏のツイートを見たときに、ふと何かのCMかは忘れたが、森山直太朗の「生きてることが辛いなら」を思い出したのである。
生きてることが辛いなら いっそ小さく死ねばいい
自殺を助長しているという批判的な考えが挙がり、一部コンビニでは放送禁止になる事態になってしまった。
しかし、この曲の最後なのだが、
生きてることが辛いなら
嫌になるまで生きるがいい
歴史は小さなブランコで
宇宙は小さな水飲み場
生きてることが辛いなら
くたばる喜びとっておけ
と、自殺ではなく生きることを歌っているのである。
他にも、「キリン 氷結」のアニメCMがアニメが未成年者の飲酒を促すといった理由で非公開にされ、インターネット上で復活を求める署名が起きると言った出来事も。
話を元に戻すがおそらく、バカにでもわかるCMといった趣旨でのツイートなのかもしれないが、そのバカにでもわかるCMの裏側には、難癖をつけるバカが出ないようにわかりやすいCMを作るという意味も含まれるのではないか。
PTAやBPOが青少年に対して不健全だというニュースを叩く一方で今回の彼女のツイートを叩く構図が少なからずあるだろうが興味深い構図だと思いつつ思ったことを綴らせて頂くことにする。